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©石井新太郎(栃木県宇都宮市)
第15回 和歌山県「紀ノ川流域の棚田発祥地」
現地見学会報告


今回の現地見学会は、「棚田のルーツをさぐる」和歌山県紀の川流域の棚田「発祥」地を訪ねる見学会でした。
吉野を水源とする紀ノ川は、万葉集の時代から、多くの和歌に詠まれ、日本の原風景と知られてきました。「棚田」はこの紀ノ川の流域で生まれ、やがて全国に広まりました。
第1日目はシンポジウ「棚田」のルーツをさぐるー文化財としての棚田ー」を開催しました。地元からも約250名の参加者があり盛況なシンポジウムとなりました。

基調講演:海老澤 衷氏(早稲田大学教授)
「棚田発祥地としての紀ノ川流域」
パネルディスカッション「棚田のルーツをさぐる」
アドバイザー:海老澤 衷氏
パネラー
鳥渕弘子氏(紀の川市食育指導士)
増田 博氏(紀の川市文化財保護委員)
高木徳郎氏(和歌山県立博物館)
コーディネーター
田中卓二氏(紀の川市農林商工部)

尚、パネラーは全て地元の方々です。

粉河寺(こかわでら)です。
西国三十三箇所観音霊場巡りの札所の1つとして栄えました。
天正13年(1558年)、豊臣秀吉が紀州に攻め入り、根来寺や雑賀衆とともに抵抗したものの全山焼失しました。

 2日目の現地見学会は、前日の集中豪雨の影響で予定コースの変更・出発時間の変更がありましたが、盛りだくさんな内容と多彩な案内者に恵まれ有意義な見学会となりました。
先ず高木徳郎氏(和歌山県立博物館)の案内で高野山領志富田荘に案内して頂きました。
紀の川流域の棚田発祥地の「高野山領志富田荘」です。

1338年(建武5年)高野山文章に記載。

現在の和歌山県かつらぎ町東渋田。
桃の木が多く栽培されていました。
遠くに紀ノ川が見えます。

高木徳郎氏(和歌山県立博物館)の説明に聞き入りました。

「棚田心眼」で現地を見ると、昔の棚田が目の前に広がりました。

紀の川流域の棚田発祥地の「高野山領荒川荘」です。

1406年(応永5年)高野山文章に記載。

現在の和歌山県紀の川市桃山。
現在は国道424号バイパス工事で埋め立てられ、その形跡は見ることはできませんでした。

海老澤 衷氏(早稲田大学教授)の説明に聞き入りました。

「棚田心眼」で現地を見ましたが・・・
思わず「う~ん~??」

小田井用水と龍之渡井(たつのとい)です。

小田井用水は、和歌山県北部に位置し、紀の川右岸の河岸段丘に広がる水田地帯を潤しています。この用水は宝永4(1707)年、紀州藩主である徳川吉宗の命令を受けた大畑才蔵により開削されました。開削の際に一番苦心した工事が穴伏川の谷を渡る龍之渡井でした。
「龍之渡井」は、穴伏川に架かる水路橋です。当時18m余りある川幅を両岸の岩盤を利用して支え、中間に1本の支柱も使わずに通した木製の掛樋(水路橋)でした。

麻酔の発見で有名な華岡青洲の里の見学に行きました。
自分の奥さんを実験台にして麻酔の利用を可能にしました。


 シンポジウム・現地見学会は楽しい二日間でした。紀の川市、かつらぎ町の役場の皆さま・関係者には大変お世話になりました。お陰で、紀ノ川流域の棚田のルーツをさぐることが出来るとともに、地元の歴史を知り、地元の人達との触れ合いができました。
ありがとうございました。

続く (和歌山県の棚田巡り)

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